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いっぷくタイム*続々・毎日のいっぷく*



【ギャラリー】3/7より。釜石の物故写真家「浅野幸悦展~彷徨える魂」

東日本大震災一周年メモリアル展示
「浅野幸悦展~彷徨える魂」
【ギャラリー】3/7より。釜石の物故写真家「浅野幸悦展~彷徨える魂」_a0167072_21563311.jpg

東日本大震災から一年、企画者・白濱雅也の故郷釜石も被災しました。私の親類も含め、いまだ遺体も見つからない被害者もたくさんいるという状況です。偶然知った地元の故人の写真家が撮り続けた漁火の写真、それはまるで洋上に漂う魂を捉えたかのような写真でありました。震災からの一周年を機に永くこの震災を忘れないために、またこの無名の写真家の作品を慰霊と鎮魂も意味も込めて広く紹介したく企画いたしました。
ついては開催、周知に向けてご助力賜りますようよろしくお願いします。

*****
浅野幸悦展〜彷徨える魂

会期:2012年 3月7日(水)~3月20日(火・祝)月火休
時間:水木金 12:00-20:00 土日祝 12:00-19:00
会場:ArtLabo 深川いっぷく
企画 白濱雅也(深川ラボディレクター)
http://mmfalabo.exblog.jp/
協力:オフィスアール/フォトグラファーズ・ラボラトリー

浅野幸悦(写真家)
1952年生まれ
 岩手県釜石市出身。
 日大芸術学部 写真学科卒
 日本写真芸術学会会員
 写真事務所陸中企画主宰
2009年 癌により急逝 59歳
2011年 震災被災で寡婦逝去

地元で写真店を経営、地元の写真撮影なども請け負っていた。
地元の名酒「浜千鳥」の広報イメージ、パッケージを担当、地元ではよく知られる。
撮影の傍ら地元での写真や観光文化の普及に努める。

【陸中企画】企業パンフレットや情報誌の制作
【吟醸酒を楽しむ会】の代表世話人
 地域の活性化を目指して、地産地消で釜石地域の異業種間交流を図る会。
【県民向け写真技術講座】の講師
【フォトライフ】の代表(発起人)
釜石及び近郊の方々が自由に参加できる写真展。
【浜千鳥】の広報
釜石の銘酒醸造元(株式会社浜千鳥)の広報責任者
(川崎 栄氏(故人の同級生)からの聞き取りによる)




 東日本大震災で私の故郷は壊滅的被害を蒙った。皮肉にも、それによって故郷を離れてから遠のいていた故郷との縁を深めることとなった。
被災した私の親戚の仮店舗物件は以前、町の写真店で、そこの前の主が地元の写真家であった。そして震災後、ツイッターを通じて知り合った地元編集者の事務所の元家主で恩師が偶然にも同じ写真家でもあった。
まるで故人の魂に呼び寄せられるように巡り合った故郷の無名の写真家、浅野幸悦。
地元では知られていたが写真の世界では全く無名であろう。写真趣味の好奇心の延長から何気なく見せてもらったその写真を見た瞬間、私は目が釘付けになってしまった。

 一見すると、それは観光地三陸海岸の暮景である。その洋上にイカ釣り船らしき漁火が漂っている。様々な観光地写真の中の一葉であったなら、気にも止めることもなかったであろう。ところが浅野が撮った数多い写真のほとんどが執拗と言ってもいいほどこの漁火の海景なのである。
確かに漁火の風景は三陸の風物詩で誰もが心の奥底に刻み込んではいるが、あまりにも身近すぎて改めて振り返るものでもない。それを真面目に写真に撮るとしても単なる早朝の風景写真であれば、ある程度撮れば卒業であろう。テーマとしてはそれ程にも凡庸ではだからこそこの執拗さからはただの風景写真でないことが伺われる。

 そのうちの数枚は水平線と漁火とわずかな岩影だけ、というこれ以上切り詰めようがないほどのミニマルな写真である。こうなると、この主題は海岸美ではなく、漁火と空と海の光空間そのものであるとわかる。これを見てカラーの海景写真の草分けであるジョエルメイヨーヴィッツに迫るものと想起された。

 浅野はこの情景に何を見出していたのか。その手がかりは残念ながら少ない。浅野は日大芸術学部写真学科で写真を学んでいる。卒業後、家の都合で帰郷、地元釜石で写真店を営むこととなる。希望を抱いて東京の大学に進学した若者にとって、このことには地方出身者ならではの小さな挫折感や諦念があったのではないだろうか。

 釜石は当時高度成長下で急成長していた街で、県下でも第二の都市であっただけでなく、製鉄所のため東京や海外からの来訪も多く、東北の辺境に似つかわしくない都会的な華やかさのある町であった。豊かになって行く暮らしと写真ブームの中で、浅野は職業写真家としての力を発揮し順調であったと想像できる。
その一方で釜石は三方を山に囲まれ、どこの視界も目の前に山が立ちふさがる。どこに行くにも山を超え長い時間をかけなければならず、県都盛岡にいくにも日帰りもままならないという遠さであり、陸の孤島のような閉塞感があった。

 家業の順風満帆、諦めかける野心、辺境の地での繁栄と閉塞、こうした不条理に相反し交錯する感情が、浅野を唯一視界の開ける海へと向かわせたのであろう。そこに向ける視線もまた不条理に相反し交錯したに違いない。

 三陸では洋上に漁り火を目にするのはたやすい。それを単なる光景としてではなく、海の向こうに解放の彼岸を、明滅する漁火に人生の儚さと煌めきを見出したとしても不思議ではない。そこに無意識に自己を投影していたからこそ、飽きる事なく執拗に撮り続けたに違いない。その明かりは生と死の間を漂う現世の命なのであった。

 2009年、浅野は急逝する。この幻の写真家の業績はここで終わるはずであった。そして昨年の震災と津波。街は壊滅、遺族も被災した。遺体が見つからない行方不明者も多数であった。その亡骸は今も海深く漂っているかもしれない。
この歴史的な災害のあとで浅野の写真に目を向ければ、それはもはや以前と異なる情景に見える。明滅する漁火は浅野個人の思いを越え無念のうちに行き途絶え今も彷徨う霊魂となったのである。この漁火の情景は冥界と現界の間の鎮魂の情景になったのである。

 浅野はこの災害を予見していた、ということではない。真摯に真理を追い求める厳しい視線が、この情景の普遍を生み出し、見えざる何かが震災以前に用意させていた、と私には思えてならない。

美術作家/深川ラボディレクター 白濱雅也
by ippuku3 | 2012-03-05 21:58 | ☆釜石復興支援関連
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「アート」と「かかし」の深川資料館通りから★★TEL: 03-3641-3477

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